
記憶の残し方
家からそこまで遠くない距離に梅の名所がある。だけどこの写真は散歩中に目に飛び込んできた二度と会うことのないだろう梅の花。名所ならね、認識せずとも再会できそうなもんでしょ。だけどどこかで出会った梅の花ですから、もう二度と出会わないですよ。儚いです。だから写真に収めてるのもあるかもしれないですね。

僕は花の名所で花の写真を撮るよりも、そういう場所ではもうすこし俯瞰して記憶に残そうとします。細部なんてもはやどうでも良いというか、どれだけ面白い記憶としてエンタメを脳みそに焼き付けられるかに僕は集中している気がしますね。花火大会だったら、花火よりも花火に浮かれてる人たちの方が花火大会だし。そんな感じに、観光地にまっすぐフォトジェニックな場所が設けられているところはかなり推せます。
それとこの散歩中に収めた写真をもう一枚

ぼくはこういうネガな写真あんまり好きじゃないので、この木達のことは、撮ってやったみたいなもんです。気分が良かったので、撮ってやりました。
文章書きながら自分の感覚を言語化できて面白いけど、ネガなものって撮らされてる感覚が強くて、それを僕は跳ね除けたいのかもしれないですね。写真なんて特に、いつだって主導権を握っていたいみたいな。やばいな、感覚についてあまりにもテキトウに言葉にしすぎている。なので汚い廃墟を写真に収めてる人たちなんてもってのほかです。(美しさがあれば何となくわかる。)(ネガと美しさって横並びにあるのか? こりゃめんどうな所に触れてしまった。またにしよう)
後半、全部嘘かもしれないです。
ちゃんと考えていつかまとめます。

