「信念」の話

JANONO

2026/07/17 01:11

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童心とは何か分からないけれど、それが幼き頃から大切にしていることだとするならば、僕にとっての童心とは自分に素直に生きることだと思う。
 
自分の心に素直に生きたいと思いはじめたのは小学4年生頃である。意見が衝突する世界で生きるようになって、はじめて芽生えた自我だ。


 
小学校では、背が大きくて力の強い人や声の大きい人が大体力をもつ。1対複数の構造はできやすい年齢だし、故に仲間にもなりやすく孤立もしやすい。僕はそんな世界で生きることが苦手だったし、複数で平和をとることよりも自分が大切にしたいことを大切にすることの平和を重要としていた。それが僕の心を守る唯一の方法だったからだ。とはいえ性格は底抜けに明るかったし、学校生活は終始楽しかったので良かった。
 

 

少し前に、あなたの信念は何かと問われたことがあった。すぐにはうまく答えられず、その場では"生きる意味である"と捻り出した。だけどあまりにも抽象的だった。

 

自信とは自分を信じる力だと思っている(本当の意味を知らない)ので、一旦"信念"を"自信"に置き換えて考えてみた。すると小学生の頃から自分を守るために貫いてきた、自分らしさ、それが素直さというのか分からないけれどそれが自信につながっていると思った。
 

今まで疑問に思ったことは、最低でも一度は立ち止まって向き合ってきたし、言動にはできる限りの責任を持って生きている。積み上げてきた思考の上に、その場その場での判断した物事がある。だからそこには自信がある。つまりそれは思考の自信なのかもしれない。

 


「自信をもっていて、あの人はかっこいい」
自信という言葉は、人の内側にみなぎる何かだと思われがちだけど、いろいろな種類があるものだと思う。人によってボーダーが違うから、人によって自信の強度も違う。ああそうか、そうすると信念というのは、思考の自信に近いものなのかもしれないな。今文章を書きながら思ったばかりなので、「自信には様々な種類があり、信念とは思考の自信に属するものである。」ここまで言い切ることはできない。けれど、この視点はとても面白い。

 


今まで自分の信じるものを疑ったことがなかったから、信じるものの源は何処なんだと聞かれて戸惑った。それから意味のない不安がしこりのように残っていて、それを解消するために今回の文章を書き始めたんだと思う。僕に限って言えば、信念とは、経験と思考の実行回数から得られる自分なりの解答そのものなのかもしれない。難しすぎる。どうせ調べればいつかの哲学者が何かを言っているのだろうけど、一旦僕はこれからも考え続けてみることにする。

 

 

 

 

今日もいい日だった

 

それでは〜

(内容が少し重たくて、昼に書いたのに更新が遅れた)

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